こんにちは、みっつです。
神宮球場というと、プロ野球の東京ヤクルトスワローズの本拠地として有名ですよね。そして、大学野球をはじめとした学生野球の試合が多く行われる事でも知られています。
その中でも明治神宮野球大会は、地区を代表した全国の高校や大学が集まっての大イベントで、野球ファンにはすっかりお馴染みです。
今回は、明治神宮野球大会の高校の部を特集します。出場条件やなぜ大会が始まったか、歴代の優勝校・準優勝校もご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
明治神宮野球大会・高校の出場条件とは?
明治神宮野球大会に出場するためには、10に分類される各地方大会を勝ち抜く必要があります。その各地区とは
- 北海道地区
- 東北地区
- 関東地区
- 東京地区
- 北信越地区
- 東海地区
- 近畿地区
- 中国地区
- 四国地区
- 九州地区
になります。この10地区の代表が優勝をかけて試合をする事になります。
出場条件がわかりにくかった時代も
2001年(平成13年)まで、明治神宮大会の出場条件はとてもわかりにくい状態でした。何故ならば、各地区大会が毎年11月上旬に開催される明治神宮大会までに、開催されていなケースがあったからです。
北国では秋季地区大会が10月上旬に開催されますが、一番遅い四国地区の秋季地区大会は11月下旬に開催されていました。ですので、秋季地区大会で優勝した学校が出場する地区と、秋季地区大会に関係なく選出される地区があったからです。
秋季地区大会がまだ始まっていない四国地方では、持ち回りで地区大会に出場できなかった学校を派遣していました。そのため、出場チームに実力差が生じ、偏った大会になると指摘する声があがっていたのです。
そこで、高野連(正式名称:公益財団法人日本高等学校野球連盟)は、2001年から全国の地区大会を11月上旬までに終えるように通達を行いました。
この通達により、各秋季地区大会の優勝校が明治神宮大会に参加できるようになり、わかりやすい出場条件となったのです。
明治神宮野球大会はなぜ始まったの?
明治神宮野球大会は、1970年(昭和45年)に明治神宮鎮座50年を記念して、奉納試合として始まりました。
明治神宮球場では、1925年(大正14年)から始まった、東京六大学野球リーグ戦が有名なので、明治神宮野球大会も最初は大学野球チームだけでの開催でした。
しかし、1973年(昭和48年)の第4回大会から高校チームも加わり、大学・高校の同一大会として、現在に至っています。
明治神宮野球大会は大学野球のイメージが強く、高校が参加して40年以上の歴史を重ねても、認知度はそれほど高くありません。高校が参加を始めた当初は、大学野球の前座の要素も強かったといわれています。
開催時期も11月上旬とシーズンオフのイメージが強く、参加チームも少ないことが、甲子園のように盛り上がらない理由のひとつといわれています。
近年になり、全国の地区大会の優勝校が全て参加することで、チーム間の力の差も小さくなりました。また、甲子園へと続く「明治神宮大会枠」が設置されたことで、これからの盛り上がりに期待がもたれています。
高校の歴代優勝校・準優勝校をご紹介
ここで、明治神宮野球大会の高校の部の、歴代優勝校と準優勝校をご紹介します。
大会回数 | 年度(西暦) | 年度(和暦) | 優勝校(地区) | 準優勝校(地区) |
---|---|---|---|---|
1 | 1970年 | 昭和45年 | 実施なし | |
2 | 1971年 | 昭和46年 | 実施なし | |
3 | 1972年 | 昭和47年 | 実施なし | |
4 | 1973年 | 昭和48年 | 若狭(北信越地区) | 平安(近畿地区) |
5 | 1974年 | 昭和49年 | 福井商(北信越地区) | 日大山形(東北地区) |
6 | 1975年 | 昭和50年 | 徳島商(四国地区) | 静岡自動車工(東海地区) |
7 | 1976年 | 昭和51年 | 早稲田実(東京地区) | 大田(中国地区) |
8 | 1977年 | 昭和52年 | 東北(東北地区) | 高知商(四国地区) |
9 | 1978年 | 昭和53年 | 柳川商(九州地区) | 市立神港(近畿地区) |
10 | 1979年 | 昭和54年 | 東海大三(北信越地区) | 鳴門(四国地区) |
11 | 1980年 | 昭和55年 | 星陵(北信越地区) | 早稲田実(東京地区) |
12 | 1981年 | 昭和56年 | 明徳(四国地区) | 大府(東海地区) |
13 | 1982年 | 昭和57年 | 東北(東北地区) | 尽誠学園(四国地区) |
14 | 1983年 | 昭和58年 | 岩倉(東京地区) | 京都商(近畿地区) |
15 | 1984年 | 昭和59年 | 国学院久我山(東京地区) | 松商学園(北信越地区) |
16 | 1985年 | 昭和60年 | 松商学園(北信越地区) | 帝京(東京地区) |
17 | 1986年 | 昭和61年 | 帝京(東京地区) | 愛知(東海地区) |
18 | 1987年 | 昭和62年 | 堀越(東京地区) | 明石(近畿地区) |
19 | 1988年 | 昭和63年 | 大会中止 ※1 | |
20 | 1989年 | 平成元年 | 東北(東北地区) | 帝京(東京地区) |
21 | 1990年 | 平成2年 | 国士舘(東京地区) | 木本(東海地区) |
22 | 1991年 | 平成3年 | 星陵(北信越地区) | 帝京(東京地区) |
23 | 1992年 | 平成4年 | 世田谷学園(東京地区) | 東海大相模(関東地区) |
24 | 1993年 | 平成5年 | 東北(東北地区) | 拓大一(関東地区) |
25 | 1994年 | 平成6年 | 創価(東京地区) | 星陵(北信越地区) |
26 | 1995年 | 平成7年 | 帝京(東京地区) | 福井商(北信越地区) |
27 | 1996年 | 平成8年 | 上宮(近畿地区) | 春日部共栄(関東地区) |
28 | 1997年 | 平成9年 | 横浜(関東地区) | 沖縄水産(九州地区) |
29 | 1998年 | 平成10年 | 日南学園(九州地区) | 日大三(東京地区) |
30 | 1999年 | 平成11年 | 四日市工(東海地区) | 敦賀気比(北信越地区) |
31 | 2000年 | 平成12年 | 東福岡(九州地区) | 尽誠学園(四国地区) |
32 | 2001年 | 平成13年 | 報徳学園(近畿地区) | 関西(中国地区) |
33 | 2002年 | 平成14年 | 中京(東海地区) | 延岡学園(九州地区) |
34 | 2003年 | 平成15年 | 愛工大名電(東海地区) | 大阪桐蔭(近畿地区) |
35 | 2004年 | 平成16年 | 柳ヶ浦(九州地区) | 愛工大名電(東海地区) |
36 | 2005年 | 平成17年 | 駒大苫小牧(北海道地区) | 関西(中国地区) |
37 | 2006年 | 平成18年 | 高知(四国地区) | 報徳学園(近畿地区) |
38 | 2007年 | 平成19年 | 常葉菊川(東海地区) | 横浜(関東地区) |
39 | 2008年 | 平成20年 | 慶応義塾(関東地区) | 天理(近畿地区) |
40 | 2009年 | 平成21年 | 大垣日大(東海地区) | 東海大相模(関東地区) |
41 | 2010年 | 平成22年 | 日大三(東京地区) | 鹿児島実業(九州地区) |
42 | 2011年 | 平成23年 | 光星学院(東北地区) | 愛工大名電(東海地区) |
43 | 2012年 | 平成24年 | 仙台育英(東北地区) | 関西(中国地区) |
44 | 2013年 | 平成25年 | 沖縄商学(九州地区) | 日本文理(北信越地区) |
45 | 2014年 | 平成26年 | 仙台育英(東北地区) | 浦和学院(関東地区) |
46 | 2015年 | 平成27年 | 高松商業(四国地区) | 敦賀気比(北信越地区) |
47 | 2016年 | 平成28年 | 履正社(近畿地区) | 早稲田実(東京地区) |
48 | 2017年 | 平成29年 | 明徳義塾(四国地区) | 創成館(九州地区) |
49 | 2018年 | 平成30年 | 札幌大谷(北海道) | 星稜(北信越地区) |
50 | 2019年 | 令和1年 | 中京大中京(東海地区) | 健大高崎(関東地区) |
※1:昭和天皇体調不良のため試合中止
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まとめ
今回は、明治神宮野球大会の高校の部について特集しましたが、いかがだったでしょうか?
甲子園球場で春や夏に行われる大会より知名度は低いものの、各地区を代表しているチームが出場するので、レベルはかなり高いです。
明治神宮野球大会は、秋の各地区の大会後に開催されるので、オフシーズン前に観戦するのも良いのではないでしょうか?
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。