オリックスバファローズの背番号2番!歴代2番の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

オリックスバファローズは、関西に本拠地を置いていた大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブが、2005年に合併して生まれました。

ライバル球団の合併という事で、両チームのファンだけでなく野球ファン全体が驚きと戸惑いに包まれた記憶が残っています。その「戸惑い」はようやく薄れた感はあるものの、まだまだしっくりといっているとは言えません。

今回は、そんなオリックスバファローズの背番号2番を特集します。旧阪急・旧近鉄時代からの全選手の紹介や、記憶に残る選手、さらに2番をつけてきた選手の傾向にもスポットを当ててみました。ぜひご覧ください。




歴代の背番号2番を背負った選手をご紹介

まずは、オリックスバファローズ歴代の背番号2番を着けた選手を「阪急~統合前まで」・「近鉄~統合前まで」そして「統合後」と3ブロックに分けてご紹介します。

旧阪急   
年  度年 数球 団 名選 手 名
1936年~1937年秋2年阪急軍山下実選手
1938年春~1938年秋1年阪急軍島本義文選手
1939年~1940年2年阪急軍山下実選手
1941年~1942年2年阪急軍空白
1943年1年阪急軍下社邦男選手
1944年~1945年2年阪急軍空白
1946年0.5年阪急軍石井武夫選手
1946年0.5年阪急軍山田伝選手
1947年~1948年2年阪急ベアーズ~阪急ブレーブス楠安夫選手
1949年1年阪急ブレーブス日比野武選手
1950年~1951年2年阪急ブレーブス和中道夫選手
1952年0.5年阪急ブレーブス松橋義喜選手
1952年~1953年1.5年阪急ブレーブス新居一仁選手
1954年1年阪急ブレーブス空白
1955年~1956年2年阪急ブレーブス川越亀二選手
1957年~1964年8年阪急ブレーブス人見武雄選手
1965年~1970年6年阪急ブレーブス山本公士選手
1971年~1979年9年阪急ブレーブス渡辺勉選手
1980年~1983年4年阪急ブレーブス八木茂選手
1984年~1987年4年阪急ブレーブス飯塚富司選手
1988年~1994年7年阪急ブレーブス~オリックスブレーブス~オリックスブルーウェーブ山越吉洋選手
1995年~1997年3年オリックスブルーウェーブ馬場敏史選手
1998年1年オリックスブルーウェーブ空白
1999年~2004年6年オリックスブルーウェーブ三輪隆選手
旧近鉄
年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1951年2年近鉄パールス宍戸善次郎選手
1952年~1954年3年近鉄パールス杉山光平選手
1955年~1967年13年近鉄パールス~近鉄バファロー~近鉄バファローズ小玉明利選手
1968年~1971年4年近鉄バファローズ飯田幸夫選手
1971年~1973年2年近鉄バファローズ一枝修平選手
1974年~1989年16年近鉄バファローズ栗橋茂選手
1990年~2000年4年近鉄バファローズ~大阪近鉄バファローズ鈴木貴久選手
2001年~2004年4年大阪近鉄バファローズ的山哲也選手
統合後
年  度年 数球 団 名選 手 名
2005年~2007年3年オリックスバファローズ的山哲也選手
2008年~2009年2年オリックスバファローズ木元邦之選手
2010年~2012年3年オリックスバファローズ山崎浩司選手
2013年~2016年4年オリックスバファローズ原拓也選手
2017年1年オリックスバファローズ空白
2018年~オリックスバファローズ白崎浩之選手

旧阪急編

旧阪急で背番号2番を背負った選手は、のべ20代に渡ります。

1936年、1リーグ7球団でプロ野球はスタートしました。山下実選手が旧阪急の初代背番号2番です。慶応大から阪急入りし、甲子園球場第1号本塁打を放った選手として歴史に名を残しています。後に兼任監督も務めました。

2代目・島本義文選手は阪急軍創立メンバーの捕手。戦争で犠牲となりました。3代目・下社邦男選手は1943年入団。ルーキーで開幕スタメンに起用された左打ちの外野手です。

終戦・プロ野球再開となった1946年に、石井武夫捕手が背番号6番から2番に変更したのが4代目です。1946年の後半からは山田伝選手が一時的に2番を使用、すぐに11番に変更となりました。

6代目・楠安夫捕手は巨人から移籍した選手です。この後2番は捕手が受け継いでいきます。楠捕手から日比野武、和中道夫、松橋義喜、新居一仁、そして川越亀二各選手はいずれも捕手。揃って短期間の在籍ですが、2番を背負いました。

12代目は人見武雄選手です。日本大からプロ入り、一時はサードのレギュラーを務めました。

13代目の背番号2番は山本公士選手です。身長165cmという小兵ながら俊足を武器とした外野手で、1966年には代走がメインながら32盗塁で見事盗塁王を獲得しました。当時の阪急ファンは試合終盤のチャンスで選手が出塁すると「山本を出せ!」と催促したそうです。

14代目は渡辺勉選手です。仙台育英高出身でユーティリティープレーヤーとして、1975年の日本シリーズでも守備固めで日本一に貢献した内野手です。

15代目は八木茂選手です。1980年にドラフト3位で入団するも1984年で引退。最後は阪神タイガースに移籍していました。引退後は秋田・明桜高の監督に就任するなど指導者として活躍されています。

16代目は飯塚富司選手です。ウエスタンリーグではタイトルを獲得したこともある強打の外野手でしたが選手層の厚さに泣き引退。その後は審判に転身し活躍しています。

17代目は山越吉洋選手は、社会人・本田技研から1986年ドラフト2位で阪急入りした遊撃手です。弓岡敬二郎選手らと定位置を激しく争うも1994年、家業を継ぐため引退しました。

18代目は馬場敏史選手です。1995年の日本シリーズで名を挙げた守備の名手でした。引退後はコーチとして引っ張りだこです。

19代目は三輪隆選手です。関東一高から明治大、社会人・神戸製鋼を経て1994年ドラフト2位で入団しました。1992年のバルセロナ五輪では銅メダルを獲得した捕手です。




旧近鉄編

続きましては旧近鉄編です。背番号2番の歴史は8代続きました。初代は宍戸善次郎内野手。2年で引退しました。

2代目は杉山光平選手です。近鉄では活躍できなかったものの、南海ホークスに移籍後は首位打者にまでなった左の好打者です。「円月打法」でも人気を集めました。

3代目は小玉明利選手です。1950年代、弱小チームであった近鉄にあって、スター選手と呼ぶに相応しい選手でした。

近鉄パールス時代、当時は珍しかった赤のストライプのユニフォームを着てオールスターに出場、その派手さにセ・リーグの選手が度肝を抜かれた、というエピソードがあります。

4代目は飯田幸夫選手です。高卒ルーキーながら開幕一軍を務めた外野手です。

引退後は中日ドラゴンズでコーチに就任。1982年4月24日の試合ではユニフォームを忘れた宇野勝選手は、飯田コーチに借りて出場します。背番号77番のユニフォームで宇野選手はホームランをかっ飛ばしました。

5代目・一枝修平選手は飯田選手との交換トレードで中日から移籍してきた遊撃手です。阪神タイガースのヘッドコーチとしてもお馴染みで、監督候補に何度も名前が挙がりました。

6代目は「和製ヘラクレス」・栗橋茂選手です。筋骨隆々の肉体はウエイトトレーニングではなくバットスイングで作り上げたものでした。

長打力もあり、かつ率も残せる左打者として近鉄の4番を務めました。金村義明氏のトークではよく話題になる、熱くて豪快な人柄も人気の秘訣です。

7代目は「北海の荒熊」・鈴木貴久選手です。北海道出身でがっしりした体格から強打を放つ右の外野手。「10.19決戦」の必死のホームインも印象に残る選手です。

大阪ドーム第1号本塁打を放った選手でもありますが、現役のコーチでありながらの突然すぎる死が惜しまれてなりません。

8代目の的山哲也選手は、強肩を武器に近鉄の正捕手を務めました。




統合後

最後に統合後の背番号2番をつけた5選手についてご紹介していきましょう。統合後の初代2番は、旧近鉄からの的山選手が引き継ぎました。

正捕手として活躍が期待されましたが、選手層が厚くなり出番が少なくなったことを機に、2008年には福岡ソフトバンクホークスに移籍するも1年で引退しました。

2002年のオールスターでのMVP獲得後のインタビューが印象深い選手です。

統合後2代目は木元邦之選手です。北海道日本ハムファイターズではオールスター出場経験もある左打ちの内野手ですが、2007年にオリックス移籍前後は成績が奮わず、2009年で現役を引退しました。

その後、地元・京都市の教員採用試験に見事合格、保健体育の教員をしています。

3代目は山崎浩司選手です。パ・リーグのチームを中心に、延べ6球団を渡り歩いたユーティリティープレーヤーです。両リーグで隠し球を成功させた経験を持つという異色の選手でした。

4代目は原拓也選手です。山崎選手と交換トレードで西武から移籍してきました。西武そしてオリックスでも守備要員でしたが、左打ちということもあり代打でも起用されることの多かった選手です。

5代目は現役の白崎浩之選手です。横浜DeNAベイスターズのドラフト1位選手ながら出番が少なく、2018年にオリックスへ移籍。守備要員の域を脱しませんが、時折見せるパンチ力あふれる打撃と、俊足が魅力の今後が楽しみな選手です!




歴代背番号2番のうち、印象深い3選手のご紹介

次に、私が印象深く思っている山越選手、馬場選手、そして三輪選手をご紹介したいと思います。

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山越吉洋選手

生年月日  1963年2月20日
出身地   京都府
投/打   右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス~オリックスブレーブス~オリックスブルーウェーブ(1987年~1994年)
タイトル等 特になし

山越選手は、京都・平安高時代の1980年春、選抜甲子園大会へ出場しました。しかし、1回戦で埼玉・上尾高に敗れます。

ちなみにこの大会の決勝戦は高知商・中西清起、帝京・伊東昭光両投手の投手戦で0対0のまま延長に入り、10回の裏高知商が1点を入れサヨナラ勝ちしました。

この二人の投手は共に社会人野球を経てドラフト1位でプロ入りしますが、山越選手は伊東選手と社会人野球でチームメートとなります。

高校卒業後は法政大に進み、4年生のリーグ戦ではベストナイン遊撃手に選出され、大学選手権でも優勝するなど活躍しました。法大の同期にはヤクルトスワローズに入団する秦真司、ロッテオリオンズでプレーした島田茂選手がいます。

大学卒業後は社会人・本田技研に入社し、ここで伊東投手とチームメートとなります。1985年の都市対抗では伊東投手の好投と山越選手、そして日本ハムファイターズにドラフト1位入団する広瀬哲朗選手の活躍もあり優勝、山越選手は打撃賞と優秀選手賞に選ばれました。

1986年のドラフト会議で阪急ブレーブスに2位指名され、前年にプロ入りした伊東選手らの後を追いました。入団時の背番号は24番でしたが、プロ2年目からは2番に変更されたことからも即戦力としての期待の高さが伺えます。

しかし、当時阪急にはショートのポジションに弓岡敬二郎選手が君臨しており、なかなかその壁を崩せないままシーズンは過ぎていきます。

1989年、チーム名がオリックスと変わった初年度に小川博文選手が入団しました。ルーキーながら開幕スタメンを掴むと翌1990年には全試合に出場。あっという間にレギュラーとなります。

山越選手はユーティリティープレーヤーとして貴重な存在となっていましたが1994年オフ、家業のスーパーを継ぐために引退を決意しました。

2017年から2年間、四国アイランドリーグPlus・高知ファイティングドックスのコーチを務めました。

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馬場敏史選手

生年月日  1965年2月10日
出身地   福岡県三潴郡大木町
投/打   右/右
プロ野球歴
福岡ダイエーホークス(1990年~1993年)
オリックスブルーウェーブ(1994年~1997年)
ヤクルトスワローズ(1997年~2000年)
タイトル等 ゴールデングラブ賞2回

馬場選手は、地元福岡の柳川高から社会人・新日鐵堺へ入社しました。社会人時代は全日本にも選ばれ、3番打者を務めたこともあります。また、社会人時代のチームメートで、プロ入りも同期となった選手にNPB・MLB双方で大活躍した野茂英雄選手がいました。

日本シリーズでの好守で名を売った馬場選手だけに、元々オリックスの選手だったと思ってらっしゃる方は多いと思いますが、実は最初に入団したのは馬場選手の地元である福岡ダイエーです。

社会人時代から打撃と共に定評のあった守備力を活かし、1年目から54試合に出場。その後も守備固め要員として一軍に定着しました。

プロ5年目の1994年、高木晃次投手との交換トレードでオリックスへ移籍します。移籍2年目には背番号2番を与えられ、開幕して間もなく「9番・サード」としてスタメンに定着しました。

シーズン終盤にはイチロー選手に次ぐ2番打者に抜擢され、115試合に出場、打率.262を記録し、チームのリーグ制覇に大きく貢献します。

日本シリーズではヤクルトと対戦。チームは1勝4敗で敗れ去りますが、馬場選手はサードの守備で好守を連発しました。

三遊間を抜けそうな打球、三塁線を破りそうなゴロを次々とアウトに仕留め、敵将の野村克也監督をして「三塁に打球が飛んだら地獄」とまで言わしめました。

1996年もレギュラーとして111試合に出場、打率は.255と少し下げましたが自己最高となる6本塁打をマークします。さらに2年連続となるゴールデングラブ賞を獲得しました。

そして、チームは読売ジャイアンツを破り、悲願の日本一を達成します。前年、阪神大震災に見舞われた神戸に大きな活力を与えてくれました。

1997年も開幕スタメンを務めますが、塩崎真選手ら若手選手を優先起用するチームの方針により出番が少なくなっていきました。そんな馬場選手をヤクルト・野村監督は見逃さず交換トレードで自チームに引っ張ります。

ヤクルトでは守備要員としてのプレーでしたが、岩村明憲選手が台頭すると現役を退き、2001年からオリックスの守備コーチに転身。以降現在までユニフォームを脱ぐことなく指導者として活躍しています。

2017年、埼玉西武ライオンズに辻発彦監督が誕生すると、馬場コーチも西武入りしました。ヤクルト時代、チームメートとなった辻・馬場両選手は同じパ・リーグからの移籍組ということもあってか意気投合。その縁での西武入りでした。

2019年からはヘッドコーチ格となり見事リーグ2連覇を達成。強力打線を誇る西武の守備を鍛え、盤石の態勢での3連覇を目指しています。

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三輪隆選手

生年月日  1969年12月1日
出身地   千葉県柏市
投/打   右/右
プロ野球歴 オリックスブルーウェーブ(1994年~2004年)
タイトル他 オールスター出場1回

三輪選手は、関東一高時代の1997年春の選抜大会決勝戦で、立浪和義選手らのいたPL学園に敗退。しかし4番打者として大会中2本塁打を記録しました。

明治大を経て社会人・神戸製鋼入りした1992年、バルセロナ五輪の代表選手に選出され、銅メダルを獲得しました。

この代表チームでプロ入りした選手はヤクルトの伊藤智仁、横浜ベイスターズの小桧山雅仁両投手のほか、三輪選手とオリックスでチームメートとなる大島公一選手などがいました。

1993年のドラフト会議では、社会人No.1捕手との評価を得てオリックスを逆指名、ドラフト2位指名で入団しました。ちなみに同期ドラフト1位は後にオリックスの守護神を務める、宇和島東高の平井正史投手です。

プロ入り後は中島聡・高田誠両捕手がスタメンを争う中、中々三輪選手の出番はありませんでした。しかし、当時の仰木彬監督の「マジック」によって日本シリーズでは突如スタメン起用されるなど経験を積み、プロ3年目の1997年には86試合に出場、正捕手格となります。

1998年からは日高剛選手が台頭してきます。日高選手が左打ちということもあり併用されますが、徐々にパンチ力のある打撃を武器に日高選手がスタメンを張る日が多くなり三輪選手は2番手捕手のポジションに甘んじます。

2003年、60試合出場ながら打率.308、8本塁打を記録し、初のオールスター出場も果たします。

2004年からは選手会長になりますが、まさにその年プロ野球再編問題が起こり、該当球団の選手代表として近鉄の選手会長・磯部公一選手とともにマスコミにコメントを求められる機会が増えました。

合併反対を唱える声もむなしく強行され、オリックスバファローズが誕生しますが、三輪選手は現役を引退しました。そして選手としてではなく、コーチとして球団に残ります。

その後、東北楽天ゴールデンイーグルスでもコーチを務め、2016年に再びオリックスに復帰。現在もバッテリーコーチとして活躍しています。

投手陣が徐々に整いつつあるオリックスにとって、核となる捕手の誕生は緊急の課題です。若月健矢選手が頑張ってはいますが、自身がそうであったように、競い合ってこそ選手の力は伸びるもの。

頓宮裕真選手ら楽しみな選手はいるので、三輪コーチの指導力に期待したいところです!




背番号2番をつけた選手の傾向とは?

オリックスバファローズの背番号2番は、旧阪急当時はキャッチャーがつける傾向がありました。

三輪選手が引退した2004年以降、つまりオリックスバファローズとなった2005年からは5代連続で移籍選手が着用しているのも特徴的です。さらに1936年から今年で84年にもなる歴史の中で、外国人選手が1度も使用したことがない、というのも特徴です。

オリックスの歴代背番号2番の選手達を見ると、補いの分野ではなくやや主力級の働きを求められるポジションにいるようです。2番をつけた選手が主力として活躍するようになれば、チームの成績も上がるのではないでしょうか。

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おわりに

今回は、オリックスバファローズの背番号2番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

旧阪急時代にはキャッチャーが、そして外国人選手がつけていないという傾向が分かりました。

白崎選手は、元々ドラフト1位という評価でDeNAに入団した、素質のある選手です。まだ実力を発揮出来ていませんが、白崎選手の活躍によってオリックスバファローズの順位が上がった、そんな活躍を期待しています。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。

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