こんにちは、みっつです。
私が野球に興味を持ったのが、小学校5年生の時でした。当時は世界の王選手も現役で、他の選手とは違う神様みたいに見えたものです(笑)
そんな神様の頭にデッドボールが当たり、倒れている写真を見た時の衝撃は、未だに脳裏に焼き付いています。当ててしまったピッチャーは、阪神タイガースの背番号4番のバッキ-選手でした。
神様である世界の王選手へのデッドボールの写真、そしてバッキー選手の事は、今でもたまに思い出します。
今回は阪神タイガースの背番号4番について調べてみました。背番号4番を背負った歴代の全選手の紹介や、主な3選手の経歴、背番号4番をつけた選手の傾向といった事をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
背番号4番を背負った歴代の全選手をご紹介
まずは、阪神タイガースの背番号4番を付けた、歴代の選手16名をを一挙にご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1936年~1941年 | 6年 | 大阪タイガース~阪神 | 空白 |
1942年 | 1年 | 阪神 | 渡辺敬蔵選手 |
1943年~1949年 | 7年 | 阪神~大阪タイガース | 空白 |
1950年~1956年 | 7年 | 大阪タイガース | 駒田桂二選手 |
1957選手~1958選手 | 2年 | 大阪タイガース | 空白 |
1959年 | 1年 | 大阪タイガース | 辰市邦輔選手 |
1960年 | 1年 | 大阪タイガース | 水上静哉選手 |
1961年 | 1年 | 阪神タイガース | 伊藤光四郎選手 |
1962年~1968年 | 7年 | 阪神タイガース | ジーン・バッキー選手 |
1969年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
1968年~1986年 | 19年 | 阪神タイガース | 川藤幸三選手 |
1987年~1990年 | 4年 | 阪神タイガース | マット・キーオ選手 |
1991年~1995年 | 5年 | 阪神タイガース | 山脇光治選手 |
1996年 | 1年 | 阪神タイガース | 横谷彰将選手 |
1997年~2000年 | 4年 | 阪神タイガース | 高波文一選手 |
2001年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
2002年~2004年 | 3年 | 阪神タイガース | 藪恵一(藪恵壹・藪恵市)選手 |
2005年~2007年 | 3年 | 阪神タイガース | アンディ・シーツ選手 |
2008年 | 1年 | 阪神タイガース | ライアン・ボーグルソン選手 |
2009年~2016年 | 8年 | 阪神タイガース | 上本博紀選手 |
2017年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
2018年~ | 阪神タイガース | 熊谷敬宥選手 |
阪神タイガースの歴代の背番号4番の選手を見てみると、意外にも日本人の選手が多くつけているという感じですね。「4」という数字は日本人にはあまり好まれませんが、1950年以降からは空白の年度も少なく背番号4番がつけられています。
もしかしたら、阪神タイガース球団が4番という数字を気にしないで、日本人の選手につけてもらった、といった事かもしれませんね。
私が選んだ阪神タイガースの背番号4番ベスト3
次に、これぞ阪神タイガースの背番号4番と呼べるベスト3を、独断と偏見で選んでみました(笑)私が考える阪神タイガースの背番号4番のベスト3は
- ジーン・バッキー選手
- 川藤幸三選手
- マット・キーオ選手
となります。それぞれの選手の経歴をご紹介していきますね。
ジーン・バッキー選手
生年月日-1937年8月12日
出身地-アメリカ合衆国ルイジアナ州
投/打-右/右
プロ野球歴
阪神タイガース (1962年~1968年)
近鉄バファローズ (1969年)
タイトル-最優秀防御率1回、最多勝利1回
表彰-ベストナイン1回、沢村賞1回
やはり第一位は、私の神様、世界の王選手にデッドボールを当ててしまったバッキー選手です!
バッキー選手は1962年のシーズン途中に、アメリカのマイナーリーグから阪神タイガースにテスト入団をしました。2年目までは伸び悩んだバッキー選手でしたが、3年目の1964年にはその実力が開花します。
バッキー投手は、長い腕から投げるナックルボールを武器にして、29勝9敗の成績を残します。そして、最多勝・最優秀賞そして沢村賞といった個人タイトルの獲得をするなど、チームのリーグ優勝にも大きな貢献をいたしました。
残念ながら、バッキー選手は1968年の巨人戦において、王選手への危険球が発端となり大乱闘の当事者になります。
この時、巨人の荒川コーチと殴ったりのもみ合いとなり、右手親指を骨折したバッキー選手は、その後は調子を落としてしまい、1つも勝ち星を上げることなく引退をいたしました。
それでも、バッキー選手は飾り気のない陽気な性格から、虎ファンに愛された「闘志の男」として、語り継がれています。
気になるのが王選手や荒川コーチとの関係ですよね。やはり仲が悪いのかな?と思いきやとっても仲がいいようです。バッキー選手は引退後も仕事やOB線などでたびたび来日していますが、とても良好な関係を保っているそうですよ!それを聞いて、私もホッとしました!
川藤 幸三選手
生年月日-1949年7月5日
出身地-福井県三方郡
投/打-右/右
プロ野球歴
阪神タイガース (1968年~1986年)
タイトル-特になし
阪神タイガースの背番号4番の第二位は、長い阪神タイガースの歴史の中でも超人気者の一人、川藤幸三選手です。
川藤選手は選手生活18年を、主に代打としての一振りで生きた選手です。これは、入団7年目にアキレス腱を断裂する大怪我を追ったことが、代打で生きることを決断するきっかけになったと言われています。
また、川藤選手といえば、人情家として「プロ野球界の春団治」と呼ばれました。川藤選手は1985年の阪神タイガース21年ぶりの優勝時は、チームの精神的な柱として存在感を示し、優勝の隠れた立役者とも言われています。
翌1986年には、プロ野球生活19年目にして初めてのオールスター出場を果たし代打で登場、見事にヒットを放ちました。この年に惜しまれつつ引退しましたが、私には何で引退したか疑問に思ったものです。
というのも、優勝した1985年よりも、ヒット数、ホームラン数、打点、打率といった部門で、上回る成績を収めていたからです。38歳という年齢から限界と思われたのかもしれませんが、個人的には40歳まで現役を続けて欲しかったですね。
そして、引退後は解説者として、歯に衣着せぬ語り口で人気を呼んでいます。
マット・キーオ選手
生年月日-1955年7月3日
出身地-アメリカ合衆国カリフォルニア州
投/打-右/右
プロ野球歴
オークランド・アスレチックス (1978年~1983年)
ニューヨーク・ヤンキース (1983年)
セントルイス・カージナルス (1985年)
シカゴ・カブス (1986年)
ヒューストン・アストロズ (1986年)
阪神タイガース (1987年~1990年)
タイトル-特になし
キーオ選手は、アメリカ大リーグのアスレチックス時代に、3年連続2ケタ勝利を挙げ、大きな期待の中で1987年に来日し、188cmの高い身長から投げ下ろすカーブを武器に、勝ち星を積み重ねました。
キーオ選手の所属していた年代は、チームの低迷時期でもありましたが、そのなかで孤軍奮闘の活躍を見せ、来日1年目から3年連続で2ケタ勝利を挙げました。
ちなみに、キーオ選手の父親は、1968年に南海ホークスの一塁手として活躍をしており、親子2代で日本球界入りした選手でもあります。
私がキーオ選手で一番印象に残っているのが、来日1年目から開幕投手を務めた事です。日本のプロ野球の場合、実力があったとしてもエースや4番バッターは日本人が務める、といった印象でした。
そんな私の印象をガラガラと崩してしまったキーオ選手、あと3年早く来日していれば、日本で100勝を達成していたかもしれませんね!
阪神タイガースの背番号4番の傾向とは?
阪神タイガースは巨人に次いで、2番目に誕生した歴史ある球団です。
昔から日本人は、「4」の数字を「し」と読み、「死」を連想させることから、忌み嫌う人が多く、プロ野球の選手も背番号4番を避ける傾向にありました。阪神タイガースにおいても、球団創立当初から14年間で、背番号4番を付けた選手はたった1名しかおらず、わずか1年間だけのことでした。
その一方で、外国人選手は「4」の数字を気にしないことから、日本プロ野球では活躍が期待される外国人に、背番号4番を与える傾向があります。その先駆者となったのが、1962年に阪神タイガースに入団をしたバッキー選手です。
ただし、お伝えした通り阪神タイガースは、他球団と比較しても、背番号4番を付けた日本人選手がたくさんいます。
よって、阪神タイガースの背番号4番の傾向としては、日本人の野手を中心につけてきた番号と言えるのではないでしょうか。
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まとめ
今回は、阪神タイガースの背番号4番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と比較してみると、日本人の選手が多くつけているのが特徴と言えますね。
2018年からは熊谷敬宥選手が背番号4番をつけています。プロ入り後に左打ちにも挑戦して、スイッチヒッターに転向しています。
これは熊谷選手の俊足を活かそうという思いからです。その期待に沿うことが出来るか、注目していきたいと思います。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。