巨人の背番号18番!エース級ばかりの歴代の選手と傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

野球の背番号18番というと、特別な番号であると思っているのは、私だけではないでしょう。高校野球に代表される、ポジションごとにレギュラー選手の背番号が決まっているようなケース以外では、そのチームのエースがつける背番号であると言えるからです。

巨人でも例外ではなく、まさにエースと呼ぶにふさわしい選手が、背番号18番をつけてきました。その中で、私が最も印象に残っているのが堀内恒夫選手です。雑誌で読んだのですが、堀内選手は相撲も強く、子供の頃は後に大相撲入りを果たして関脇まで昇進した、富士桜関にほぼ負けなかったといいます。

堀内選手が野球ではなく大相撲入りしていたら、横綱まで昇進できたのではないか?などと小学生の私は考えたものです。しかし、そう簡単ではないですよね(^_^;)

今回は、巨人の背番号18番をつけた選手を全てご紹介します。そして背番号18番をつけて活躍した3選手をピックアップして詳しくご紹介しますので、楽しみにしてくださいね!

歴代の背番号18番を背負った選手をご紹介

まずは、巨人の背番号18番を付けた歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1935年1年大日本東京野球倶楽部ビクトル・スタルヒン選手
1936年~1938年3年東京巨人軍前川八郎選手
1939年~1942年4年東京巨人軍中尾輝三選手
1943年~194年53年東京巨人軍      空白
1946年0.5年東京巨人軍      近藤貞雄選手
1946年~1957年11,5年東京巨人軍~読売ジャイアンツ中尾輝三(改名・碩志)選手
1958年~1966年9年読売ジャイアンツ藤田元司選手
1967年~1984年18年読売ジャイアンツ堀内恒夫選手
1985年1年読売ジャイアンツ空白
1986年~2006年21年読売ジャイアンツ桑田真澄選手
2007年~2011年5年読売ジャイアンツ空白
2012年~2018年7年読売ジャイアンツ杉内俊哉選手
2019年~読売ジャイアンツ菅野智之選手

巨人の初代の背番号18番は、300勝、そして今後破られる事はないであろう年間42勝ををあげた、スタルヒン選手です。

ロシア生まれだったスタルヒン選手は、戦争が激しくなりロシアに対する感情が悪くなった際、日本語の名前(須田博)に変えざるを得なかったといいます。これからは、戦争のない平和な時代が続いてくれれば良いな、などと考えてしまいました。

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背番号18番を背負って活躍した3選手のご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、巨人の背番号18を背負った選手は、わずか9名になります。その中から、これぞ巨人の背番号18番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。

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堀内恒夫選手

生年月日  1948年1月16日
出身地   山梨県甲府市
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1966年~1983年)
タイトル  最優秀防御率:1回、最高勝率:3回、最多勝:1回
表彰    最優秀投手:2回、新人王、沢村賞:2回、ベストナイン:2回、ダイヤモンドグラブ賞:7回、年間MVP:1回

堀内選手は1966年の第1回ドラフトにおいて、巨人初のドラフト1位選手となりました。その堀内選手は、プロ1年目に初登板初勝利を挙げると、そこから13連勝の偉業を成し遂げます。

魔球と恐れられた縦に曲がるカーブを武器に、ルーキー1年目から16勝を挙げると、新人王にも輝きました。

巨人のV9時代のエースとして活躍をした堀内選手は、V9期間中に王選手と長嶋選手以外で、唯一年間MVPのタイトルを取得した選手でもあります。

ダイナミックな投球フォームからの全力投球を持ち味とし、少し大きめの帽子をかぶっていたことから、投げるたびに帽子が横を向くことが話題にもなりました。

ちなみに、堀内選手は引退後に、投手コーチや巨人の監督を歴任し、2006年からは野球解説や評論家として活躍した後、2010年には参議院議員通常選挙に、自由民主党から出馬するなど多岐にわたる活躍をしています。

私の堀内選手との思い出は、1976年、小学校6年生の時に巨人のファン感謝デーに行った際の出来事になります。

抽選で選ばれて、当時の後楽園球場のグラウンド内で選手の撮影をする機会に恵まれました。この時は、選手がファンの前に順番に回ってきてくれるスタイルでしたが、次は堀内選手が来てくれるという直前で時間切れになってしまったのです。

時間切れになりながら、他の選手はファンのためにポーズをとって撮影に応じていました、しかし堀内選手は、サッサと引き揚げてしまい、横からしか撮影できず。呆気にとられる私!子供ながらに冷たいなと思った事を、40年以上経った今でも思い出します(^_^;)

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桑田真澄選手

生年月日  1968年4月1日
出身地   大阪府八尾市
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1986年~2006年)
      ピッツバーグ・パイレーツ(2007年)
タイトル  最優秀防御率:2回、最高勝率:1回、最多奪三振:1回
表彰    最優秀投手:1回、沢村賞:1回、ベストナイン:1回、ゴールデングラブ賞:8回、年間MVP:1回

桑田選手は、高校野球の名門PL学園で、同期の清原選手と2人、1年生の夏から5季連続で甲子園に出場し、高校野球ファンだけでなく広く名前を知られていいました。特に、1年生から3年生の夏の大会において、2回の全国制覇を成し遂げています。

そして、桑田選手はドラフト1位で巨人に入団を果たすと、高卒ルーキーとして2年目には15勝を挙げて、最優秀防御率のタイトルと沢村賞を獲得します。まさに巨人のエースとして、斎藤選手及び槙原選手と3本柱を形成して、チームの勝利に大きく貢献をしました。

しかし、プロ10年目のシーズン中に、右ひじの靭帯を損傷すると、1年以上のリハビリを余儀なくされます。カムバック当初は精彩を欠くものの、その5年後には再び2ケタ勝利を挙げる活躍を見せ、チームの日本一に貢献をしました。

高校時代から広島カープファンだった私、桑田選手には苦い、というか苦笑する思い出があります。それは入団2年目の1986年7月、札幌丸山球場での試合です。

我が広島カープは、まだ19歳だった桑田選手にプロ入り初の完封を許してしまったのです。それも、スリーランホームランを含む全打点もあげられてしまうというオマケつきで(^_^;)

私はテレビで観戦していましたが、その時の桑田選手がバッターボックスに入った際に流れる応援歌を、今でも思い出す事が出来ます。初完封ですからピッチングも素晴らしかったですが、個人的にはバッティングが印象に残ったようです(^_^;)

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藤田元司選手

生年月日  1931年8月7日
出身地   愛媛県新居浜市
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1957年~1964年)
タイトル  最多勝:1回、
表彰    最高勝率:2回、新人王、年間MVP2回、ベストナイン:1回

藤田選手は、1957年、当時の水原監督の誘いで、社会人から巨人に入団をしました。1年目には17勝を挙げて新人王に輝くと、2年目には29勝、3年目には27勝と、2年連続の年間MVPを獲得しました。

しかし、細身の身体の藤田選手にとっては、入団当初からの活躍の一方で、満身創痍の中での投球であったといわれています。それでも、身体の疲労がたまっても、マウンド上では笑顔を絶やさなかったことから、藤田選手は「球界の紳士」と呼ばれました。

その藤田選手は、選手としてはそれほど優勝に恵まれた訳ではありません。大学野球から社会人では優勝することができず、巨人でも日本一を経験することができませんでしたが、その後、巨人の監督に就任し、初めて日本一の座を獲得しました。

私が生まれた1964年に現役を引退した藤田選手、個人的には選手よりも監督として印象に残っています。広島カープファンの私は、藤田監督の時代の巨人はとても強くて、嫌らしさを感じていました(^_^;)

監督としての成績を調べてみると、7年間でリーグ優勝4回・日本一2回、6回のAクラス、通算の勝率.588。これ以上は望めないような抜群の成績ですね!

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巨人の背番号18番を付けた選手の傾向とは?

日本のプロ野球において、背番号18番は、紛れもなくエースピッチャーがつける番号です。背番号18番がエースナンバーとして定着した理由には諸説あります。

その一つが、球団として最も歴史のある巨人が、エース投手を背番号18番にしていたことから、各球団に広がったという説です。まさに、巨人において背番号18番はエース投手の番号を意味している証拠でもありますね。

ちなみに、巨人において背番号18番がエースナンバーとなるきっかけを作ったのが、中尾輝三選手です。

中尾選手は、1939年~1942年と1946年~1957年の15,5年、巨人の背番号18番をつけて活躍、通算で203勝をあげました。中尾選手以降は、プロ野球界に名が残るような名投手がつけています。

そんな野球の背番号18番について、当ブログで取り上げていますので、詳しく知りたい方はご覧になってみて下さいね。
背番号18番!野球ではどんな意味があるの?主な名選手もご紹介!

球団創立から84年の歴史をもつ巨人ですが、これまでにエース番号を背負った選手は、わずか9名だけです。それだけ、巨人の背番号18には重みがあり、名誉の番号といえます。

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まとめ

今回は、巨人の背番号18番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他球団と同じように、巨人の背番号18番はエースピッチャーがつける番号である事がわかりましたね。

2019年からは、満を持して巨人の、日本球界のエースである菅野智之選手が、背番号18番をつける事になりました。どのような活躍を見せてくれるのか楽しみであると同時に、ずっと日本で活躍して欲しいという気持ちもあります。

有力選手がぞくぞくとアメリカ大リーグに行ってしまうのも、やはり寂しいですからね。でも大リーグに行ってくれると、我が広島カープの天敵がいなくなるという事にもなり、それはそれで歓迎なのですが(^_^;)